シネフィルはつかれる

観た映画なるべく書く映画通信。年間watch数300本弱。

タワーリング・インフェルノ

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タワーリングインフェルノを久々に見返した。観ているのが辛くなるくらい怖く、面白い。初めて観たのは大学生のときで、大学の図書館でレーザーディスクを借りて観て、帰り道もずっと怖かったのを覚えている。パニック映画の中ではAFAIK一番怖い。よくもまあ次から次へとパニックのアイデアが浮かぶなと感心する。

 

あらすじ (Yahoo! 映画)

地上135階、シスコにそびえ立つ超高層ビル“グラス・タワー”落成式の日。規格外の製品を使ったために起きた出火はやがて巨大な炎となり、最上階に何百人も閉じ込めたままビルを飲み込む。20世紀フォックスワーナー・ブラザースが別個に企画していたビル火災の映画を合作、文字通りのオールスター・キャストで映像化した掛値なしのパニック超大作。

利権やプライドゆえの不正、不正ゆえの事故、正常性バイアスのために避難が遅れるといったあり得そうな設定が恐怖を煽る。撮影賞を当然のように受賞しただけあって撮影がすごい。CGが無い時代、ビルなどはミニチュアのセットで撮影したらしい。

映画のメッセージが勧善懲悪的でないところも残酷で良い。めちゃ良い人なのに何でこんな死に方するの?っていう不条理さ。あのシーンは全映画の中で一番辛い。普通の善人が、自分たちが助からないことを悟ってそれを受け入れる切なさ。冷静なのがまた辛い。

また、建築基準や消防の勉強にもなる。1974年当時の常識だから今とはまた違うのかもしれないけどやっぱ高いビル怖すぎ絶対住まない当たり前だが、消防士の仕事は火を消すという単純な作業だけじゃない。建物の構造を瞬時に頭に入れ火を消す方法を練るし、建物の材質によって判断を変えるし、どこに何人いるかという状況に応じて対応する。そのための手段がヘリ救助だったり爆破だったり救命ロープだったり様々なんだけど、論理的に物理的に何をすべきかの判断をするハイパー高度プロフェッショナルだ。てか寝てるときに轟音で起こされて瞬時に消防車乗って出勤するってだけで相当ストレス。まじで年収2億プラス危険手当5000兆とかが妥当だろう。

超絶無責任な人が描かれるが、最後まで自分のできることをこなす人々も描かれる。最後まで自分の仕事を全うするバーテンダーは、タイタニックで沈みかけている船に乗りながらも最後まで演奏を止めない音楽家たちみたい。

見栄のために高いビルを建てたがるのは確かにどうかと思うが、この映画の教訓的なものに「豊かさへの罰」「享楽への罰」みたいなものも感じられるがそこは否定しておきたい。享楽的にリッチであることを楽しむことを悪いことだとは思いたくない。


アメリカはまだしも、日本や香港のように国土が狭いとどうしても利便性のために高層ビルを建てざるを得ない。車社会にも似ていて、悲惨な死亡事故が起こると、もう車なんて辞めようって思うけど結局利便性が高いから自分も乗ったり車社会の恩恵を受ける。それがコロナにも似ていて、コロナに感染して死ぬ人が出るのも自分が死ぬかもしれないのも分かっているけど、そのうち利便性のために外に出るし遊びに行くだろう。でも両立は出来ると思う。車なら、より車の安全機能を高めたり、道路を整備して、歩行者と触れないような造りにする、など。コロナなら今散々言われているように手洗い、顔触らない、マスク、ソーシャルディスタンスをとりつつこれまでの社会生活に戻る。なにはともあれ、安全のため、先人から知恵を受け継いでそれを絶やさぬよう日々努力している人々に感謝。全人類が見るべき映画、特に建築に携わる人は義務。

タワーリングインフェルノをスカイツリーのてっぺんで上映会とかしたら最高に盛り上がると思う。

 

ポエトリー アグネスの詩

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あらすじ(映画.com)

釜山で働く娘に代わり中学生の孫息子ジョンウクを育てる66歳のミジャは、ふとしたきっかけで詩作教室に通い始めるが、その矢先に自分がアルツハイマー認知症であることが発覚する。さらに、少し前に起こった女子中学生アグネスの自殺事件にジョンウクがかかわっていたことを知り、ショックを受けたミジャは、アグネスの足跡をたどっていくが……。

 

今最悪の話題の「n番部屋事件」を思い起こさせるような最悪な事件がテーマとなっている。加害側である少年グループとその父親たちは、事を大きくしないことに必死で、示談と保身しか考えていない。一方ミジャは、保身よりも孫を叱ることよりもまず、被害少女アグネスに寄り添う。この映画の中で唯一アグネスを理解しようと能動的に動く人物。アグネスが何を考え、何を憂いて死んだのか、思想や行動をなぞる行動は、アグネスに対するリスペクト溢れる弔いだと思う。その行為が詩に繋がり、弔いの詩となった。葬式や法事などの儀式は確かに形式的に死者を弔いはするけど、本当に大切なのは死者を思い続けることだ。多くの場合それは難しい。先月祖母を亡くしたが、祖母の人生をなぞることや、祖母との思い出に浸ることで思い続けているのだが、永遠には続かない。

ミジャは可愛らしく健気で、何事にも受け身のような女性である。そのミジャが恐らく人生で初めて自分で大きな決断をする。60代にしてジブリ映画のヒロインみたいな感がある。

詩を書くのは難しい。適当な言葉を並べるだけなら誰でもできるけど、そういうのって書いた後読み返すと全くダメなことがわかる。映画の中で詩の先生が言うように、物事を見つめ気持ちをトレースする丁寧な作業が必要である。ミジャはりんごや木から落ちたあんずにヒントを得ようとノートに書き留める。私も詩人なので分かるが、例えば今日は帰り道、遠くの方に見えるビルの金色の光が綺麗で、目をぼやけさせると金色が広がってこの世のものとは思えないほどの光景だった。また、コロナウイルスによる自粛や規制でやりたいことができない、人にも会えない非常にもどかしい思いを詩に昇華できる。

途中雨が降り、ノートが雨粒に濡れるシーンがあるが、その描写も含めて全体的にシャワーのように気持ちの良い映画だった。

 

 

TED 2

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あらすじ(Filmarks)

バイト先で知り合った前作からの彼女タミ・リンと結婚したテッド。親友ジョン(マーク・ウォールバーグ)との悪ふざけも変わらぬ毎日の中、やがて、テッドは子供が欲しいと願うようになる。しかしそのために必要なのは、テッドが人間であるという証明。困ったテッドは美人弁護士サマンサ(アマンダ・セイフライド)に自身の弁護を頼み、法廷へと乗り込むが…。

 

確か飛行機の中で観て、笑いが止まらず大変な思いをした記憶がある。TED 1 同様、アメリカのエンタメパロディ&オマージュに富んでいて深みがある。図書館でのブレックファストクラブのダンスシーンはとてもキュートだった。「ジョナ・ヒル」「ジャスティン・ビーバー」であんなに爆笑することは後にも先にもないだろう。

 

本作のテーマは「人権」である。テディベアのぬいぐるみであるテッドが人間であるか所有物であるかを論点に裁判が行われる。過去に白人は黒人を所有物 (奴隷) として扱っていたが、今はそれが間違いだったと証明されている。そこをポイントに弁護士と協力して、テッドは見事人間と認められ、人権を勝ち取る。下品の金字塔のような映画だが胸が震えるほど感動した。

 

相模原殺傷事件の植松聖は、元交際相手の女性によると、TED 2 を観て犯行を勇気づけられたという。喋れるか喋れないかで人間とそれ以外を区別したのだろう。テッドは喋れるから人間とみなされた、という短絡的な解釈はどこから来たのか。むしろこの映画を観て抱く感想は逆だし、テッドが喋れるからという理由だけで人間とされた訳ではないのは明確だ。石原元都知事の障害者への「人格発言」も似たような思考回路から出た発言だろう。http://wwwave.net/blog/arok/ishihara/index.html

 

また、植松は2016年の米大統領選挙期間のトランプの発言にも勇気づけられたという。現大統領の排他的な思想と発言が日本で重大なヘイトクライムを触発したという報道はアメリカでされているのだろうか。トランプ本人はこの事件のことを知っているのだろうか。このことをトランプが憂いていないであろう事実を憂いている。事実は人生は小説より奇なりと言うが、これまで様々な映画で様々な「アメリカ大統領」を観てきたが、現大統領はその誰よりもやばい。( 26世紀青年アメリカ大統領の方がましである。)

 

SNSで見られる植松擁護にも辟易している。「障害者が罪を犯しても罰せられないのは人間とみなされていないから」という主張をしたようだが全く成立しない論である。もちろん植松が説明したような障害者介護の現場の苦しさはもっと認知されるべきだし、制度も整えられるべきだ。でも擁護のしようはないよ。

 

TEDから話がそれまくったが、痛感させられたのは、受け取り方は本当に人それぞれだなということだ。こんなに正反対の解釈をされ、あんな事件を起こされ、製作陣がいたたまれない。

後妻業の女

https://youtu.be/vqvIxvyDb14



あらすじ(Filmarks)

「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くすタイプやと思います」結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロである。耕造(津川雅彦)もその一人。二人は惹かれあい、結婚。幸せな夫婦生活を送っていた、はずだった—。2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子(長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査すると、衝撃の事実が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う“後妻業の女”だったのだ!そして、その背後には結婚相談所・所長の柏木(豊川悦司)がいた。 「結婚相談所に限って言えば、男の高齢者がよくモテる。第一条件は資産があること。持病があればなおいい。看取る時間の効率が良いから女同士の取り合いになったりする・・・」 次から次へと“後妻業”を繰り返してきた小夜子と柏木、二人を追及する朋美と裏社会の探偵・本多(永瀬正敏)、小夜子の次のターゲットでありながら彼女が本気で愛してしまった不動産王・舟山笑福亭鶴瓶)、そして彼らを取り巻くひと癖もふた癖もある人々…。今、愛とお金をめぐるドラマが始まる—!!!

 

「〇〇の女」といえば伊丹十三だが、こちらは伊丹映画の構図へのオマージュを感じられる。それは「女」である主人公の女と、その女の仕事を支える(もしくは敵対する)男の映画。その男女が恋に落ちたり落ちなかったりは映画による。宮本信子大竹しのぶ津川雅彦山崎努豊川悦司。伊丹映画ファンとしては伊丹亡き後のこれには胸が熱くなった。

 

全体コメディタッチで進んでいくが、途中の殺人シーンはしっかりノアールで、その落差が怖かった。コメディに紛れて楽しくやってるけど、実際こいつらがやってることは背筋が凍るようなこと。それこそ1999年森田芳光監督「黒い家」の大竹しのぶを思い出して「ああ、これ笑い事じゃなかったんだ」と思わされる。大竹しのぶの陽と陰の二面性が丁寧に描かれている。

 

豊川悦司は、同監督作の「愛の流刑地」やテレビドラマ「青い鳥」「愛してると言ってくれ」、またはキンチョールのCMなどなどで分かる通り、エロスの天才である。若い頃は爽やか兼ミステリアスで儚い雰囲気を放っていたが、加齢と共に胡散臭さが増し役の幅が広がったように思う。本作では大阪の胡散臭い中年の塊のような人間を体現しており、しかし孤独で寂しい存在であること、自身のステイタスや資産が脆いことから、若い頃に負けない儚さを放っている。そこがエロい。

 

脇を固める尾野真千子笑福亭鶴瓶永瀬正敏らも魅力的で、久しぶりに日本の豪華キャストによる日本らしいエンタメ映画を純粋に楽しんだ。また、永瀬正敏大竹しのぶコンビといえば1992年石井隆監督の「死んでもいい」であり、その劇中でも使われる「黄昏のビギン」を「後妻業の女」で大竹しのぶが口ずさむ。これがまた「死んでもいい」のような惨劇を予感させたりして程よく背筋が凍る。名曲の使い方がうまい。

 

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ドッグマン

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主演のマルチェロ・フォンテがカンヌ主演男優賞受賞したドッグマン。評判が高く気になっていた。観た夜の夢に出てきたほど濃厚。

 

あらすじ

(Filmarks)イタリアのさびれた海辺の町。娘と犬をこよなく愛する温厚で小心者のマルチェロは、質素ながらも「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを経営し、気のおけない仲間との食事やサッカーを楽しむ日々を送っている。だが一方で、その穏やかな生活をおびやかす暴力的な友人シモーネに利用され、従属的な関係から抜け出せずにいた。ある日、シモーネから持ち掛けられた、儲け話を断り切れず片棒を担ぐ羽目になったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失ってしまう。娘とも自由に会えなくなったマルチェロは、元の平穏だった自分の日常を取り戻すためにある行動に出るが――。

 

俳優陣が全員個性豊かで全員本当にそういう人にしか見えないほど現実的。やはり主演男優賞受賞のマルチェロ・フォンテ、あの佇まい、姿勢、声、ギョロ目と表情全てのこなしが完璧。この役をやるために生まれてきたみたいな存在で、この作品とこの俳優が出会った奇跡を喜びたい。また、やはりジャイアンとしてのシモーネもすごい。DQNアディダスのジャージを着るのは世界共通か。アディダスから訴えられてもおかしくないレベルの着こなし。また、犬映画でもあり、多種多様な犬たちが出てくるので犬好きにはたまらないのでは (悪い意味で)。 

 

本作一番のポイントはロケーションだろう。あの凄まじい村。寂れた海辺の田舎町で、一応レストランや遊技場、クラブとかあるんだけど、全てが朽ちはじめている感じ。通りが広く、人が少なく、栄えていた時代もあったが、見放されて以来何も手をつけていない感じ。日本の、昭和で時が止まった温泉街などに行ったときのあの絶望感の中で暮らしている。コッポラ村 (vilaggio coppola) という村らしいが、グーグル検索してみても、見事に映画通りの廃れっぷり。60年代後半に観光地として開発されたらしいが今や全体が廃墟。古い建物や街並みが美点となっているローマとかミラノは当たり前だけどしっかりお金をかけてるから綺麗に保たれているのだと痛感。

https://www.google.com/search?q=villaggio+coppola&rlz=1C5CHFA_enJP811JP811&sxsrf=ALeKk01X24MLn0FlAsHcX8s6d02C8E5nhg:1584450329859&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjg-sy4yaHoAhXQfXAKHaFNBxoQ_AUoAnoECBYQBA&biw=1366&bih=666

 

東京みたいな大都市に住んでいると分からない感覚だが、小さな町に暮らしていると、外に出たら知り合いに会うのが当たり前、もしくは住人全員知り合いみたいなことがある。そうすると無意識に行動が制限される。私も小さい町に住んでいた頃、ダウンタウンに出かけていけばよく知り合いに出くわしたものだ。東京では地元の駅ですら知り合いを見かけることがない。どこに行っても誰かがいるのは気が重い。その閉塞感は計り知れない。

 

だからこんな村で、シモーネの搾取から「逃げられるだろう」「断ればいい」といった論は通用しない。マルチェロやその周りの人々に逃げ場などない。恐らく幼なじみであろうマルチェロとシモーネの関係性が、今更対等になったりしないし一生抜け出せない。ああいう人間関係に陥ってない自分はただただ運がいい。カップルや親子でもどちらかが力関係を示して搾取するような関係がたくさんある。サービス業などでも「ゴネ得」という言葉があるように、ゴネたもん勝ちなところがあって、そういうゴネ客は自分がヤクザの手法を用いて相手を消耗させ、得をしようとしている認識があるのか問いたい。

 

ラストのシークエンスに至るまで完璧な映画だと思った。恐らく2020年見た映画ベスト10に入るだろう。

新聞記者

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日本アカデミー賞を受賞した「新聞記者」みた。今年ワースト級。まず、痛烈な政権批判をやってのけたこと自体はすごいし、制作側の志は認める。その映画が賞まで取るなんて、日本は表現や言論の自由が守られた素晴らしい国だなと安心できる。が、映画としては近年稀に見るローレベル。20年前のテレビドラマ??みたいな演出やセリフの言い回し。

 

あらすじ(Filmarks)

東都新聞記者・吉岡(シム・ウンギョン)のもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名 FAX で届いた。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、ある強い思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、真相を究明すべく調査をはじめる。一方、内閣情報調査室の官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。二人の人生が交差するとき、衝撃の事実が明らかになる!

 

以下、違和感があった部分を箇条書きにすると、

 

・FAX

・父親が自殺した話を軽々しく娘にする?あの白人記者

・内閣調査室なんであんな暗いの?悪の組織を表現したつもり?

・部下をお前って呼んだり、命令口調の上司が酷い。松坂桃李はいくつか知らないけどシム・ウンギョンに初対面でタメ語。秘書にもタメ語。

・セリフが全て説明的。てかもはや説明。

・本田翼演じる妻は完全に蚊帳の外。

松坂桃李は物凄い覚悟の上あの行動に出たんじゃないの?上司からああ言われることくらい予想できたよね?何絶望してんの?

 

といった感じ。全体通してシリアスなんだけどやってることが拍子抜けするようなことだから終始 seriously what am I watching??? って感じ。

 

もっとハラハラしてエンターテイメント性に富んで、最後にグサっときて真剣に考えさせられる映画たくさんあるよね。「凶悪」とか「トガニ」とか、自分の正義のために家庭を犠牲にせざるを得ない葛藤がしっかり描かれる。新聞記者では何があっても都合良く本田翼が出てきて聖母のように受け入れてくれる。女性への甘えがやばい。「湯を沸かすほどの熱い愛」かよ!あまりに父権的、パワハラ、女性蔑視が酷い。実際の社会がそうなのかもしれないけど、それなら批判的な姿勢で描くべきでは。

 

韓国映画が本家のアカデミー賞取ったりしてる中で、辛辣な言い方だが、新聞記者は恥かしいレベル。例外的にひとつだけ好きなシーンは、松坂桃李スマホ入力がめちゃめちゃ早かったところ。また、関係ない話だが松坂桃李はこういった正義の善人よりも、「彼女がその名を知らない鳥たち」や「娼年」で演じたような、性的に常軌を逸した人物の方がはまるのではないかと思う。

映画

大学時代の友達からのくだらない助言でまたブログを始める。前のブログは2008年に始めて、8〜9年はしっかり更新していたな。よく続いたもんだ。

 

高校生くらいの頃から映画をちゃんと観始めて、今では年に300本弱観るほど映画通=シネフィル。配信サイトの普及もあって、就寝中、仕事中、お風呂やトイレ、外出中以外は常に映画を観ている生活になっている。他の映画通が聞いたら怒りそうだけど、映画は映画館で観るべきものという概念が皆無だから、小さなパソコンの画面でも満足なんだ。

 

映画というメディアが自分と、自分の生活習慣にマッチしている。これは奇跡的なことだ。こういうのに出会えるのは素晴らしい。思春期から映画が好きだけど、映画を仕事にしたいと思ったことが一度もないから、完全に娯楽として楽しめるの。同世代の才能ある監督や役者が出てきても嫉妬なんて一ミリもしない。

 

大学の頃は、今思えばいい映画にたくさん出会ったと思う。今ほどの量を観ていないけど、影響力のあるいい映画をたくさん観た。少し前、「この世にある全ての映画を死ぬまでに全て観る」という誓いを立てたんだけど、原理的に不可能なことに気づいた。それならなるべく良さそうな映画を選んで観たいけど、たまにはクソつまんない映画や駄作も観たいよね。それが面白いんだから、博打だし。ということで映画中心のブログはじめます。

タイトルは川崎真理子「失恋はつかれる」のもじり。

 

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